Last Updated on 2025年6月18日 by 成田滋
今NHK連続テレビ小説「アンパンマン」が放送中で12週は「逆転しない正義」となっています。主人公の一人で漫画や絵を愛していた棚井嵩が徴兵されて日中戦争に巻き込まれ、1944年9月福建省にて宣撫班に所属するという舞台です。宣撫班とは、占領の目的や方針などを知らせることで人心を安定させることを任務とする組織です。中国人に嘲笑され歓迎されない兵士と住民とのいさかいが起こります。そこで、老若男女が喜ぶ作戦を考えよ、という命令を受けます。棚井は、一人の子どもに出会い、「紙芝居」にその子どもを主人公として登場させるのです。地元民から共感を得る紙芝居を作るのです。最初の紙芝居のテーマは「双子の島」でした。これが集まった大人や子どもから受けるのです。しかし、戦況は悪化し、食糧の供給路が絶たれ、宣撫班は一日2食を強いられていきます。
日中戦争は、中国では中国抗日戦争と呼ばれています。1937年7月7日に中国北京郊外の盧溝橋で日本軍と中国軍が衝突した事件が戦争の引き金となります。この戦争は、1937年から1945年8月15日まで大日本帝国と蔣介石率いる中華民国国民政府の間で行われた戦争です。日本は宣戦布告は行わず北支事変と称し、戦闘が上海に拡大した後の1937年9月に支那事変と命名します。さらに戦線が拡大していくと、日華事変と呼ぶようになります
戦争でなく事変と称されたのは、盧溝橋事件後に本格的な戦闘が行われても、1941年12月に大東亜戦争/太平洋戦争が日英米蘭との間で勃発するまで、両国は宣戦布告を行わなかったからといわれます。その理由として、日中両国がアメリカの中立法の発動による経済制裁を回避したかったからであると指摘されています。盧溝橋における銃弾の発砲については、蒋介石国民政府が「何らかの手違いによるものである・・」という旨の声明を出しており、正式な謝罪をします。日本側も、石原莞爾が旧知の仲であるドイツの駐中国大使であるオットー・トラウトマン(Otto Trautmann)に仲介を依頼します。これは「トラウトマン和平工作」と呼ばれました。
日本側は事態の早期収拾も狙っていました。戦争ともなれば天皇の勅許が必要となりそれを避けたかったようです。一方中国側は、国内での近代兵器の量産体制が整わないままであることから、開戦により軍需物資の輸入に問題が生ずる懸念がありました。ことに軍閥や毛沢東率いる中国共産党との国共内戦の行方も不透明であったことから、中国国民党の蒋介石は「安内攘外(あんないじょうがい)」政策をとり、中国共産党との決着を目指す国内の統一を優先すべき問題と捉えていたといわれます。
その後、中国共産党の国共合作による徹底抗戦の呼びかけ、及び蔣介石の「最後の関頭」談話における徹底抗戦の決意の表明、中国軍の日本軍及び日本人居留民に対する攻撃と事態は進展し、8月には第二次上海事変が勃発するに及び、戦線は現中国の華中地方、そして中国大陸全土へと拡大し、日本と中華民国の全面戦争という泥沼の様相を呈していきます。第二次世界大戦が勃発すると、蔣介石の重慶政府が英米オランダとともに日本に宣戦布告し、事変が戦争にエスカレートしていきます。東條内閣は1941年12月10日の閣議で支那事変を含めて大東亜戦争と呼ぶことに決定します。
